『甘えろよ…』

見慣れた窓を見上げると、中からは日番谷の良く知った声が聞こえている。
一人は女性の癖に、やたらと堅苦しい言葉使い。
そして、もう一人は日番谷がいつまでも聞いていたいといつもいつも思う一護の大好きな声 。
なにやら、二人は他愛ない学校での出来事や、この部屋の主の家族の話をしているらしい。

しばらく逡巡した後、日番谷は気配を消して窓へと近づく。
中から聞こえる声が今度ははっきり聞こえ、楽しげに会話する二人に嫉妬心を覚えてしまう自分に気がつき、軽くため息をついた。
盗み聞きする気はなかったが、やけに楽しげな雰囲気に水を差すのもはばかられ、姿を現せずにいた。
だが、いつまでも終わらなそうな会話と、その会話に出てくる自分の知らない出来事を聞いているうちに、先程ため息とともに捨てたはずの嫉妬心がまたしても芽生えてしまった。

連絡してからくれば良かった…と今更ながら後悔したが、任務以外のことでわざわざ連絡するなんて、日番谷には未だ恥ずかしく、なかなか出来ないことだった。
だから、いつも不自然とはわかっていても通学路で待ち伏せてみたり、一護が気づくまで一護の部屋の窓の外に突っ立っていたりしていた。
『オレがいなくても勝手に部屋に入っていていい』と言う一護だったが、この家には死神である朽木ルキアもいるし、一護の妹の片方は死神である日番谷の姿が見えてしまう。
一護の部屋に仕事以外で自分が来ていることを出来るだけ知られたくなかった日番谷は、一護の提案をかたくなに断っていた。
そんな努力をしている日番谷であったが、一護と日番谷が恋人であることは回りの者にだいたい知られていることなので、無駄なことなのだが、それでも自ら公にするのは気が引ける日番谷は出来るだけ隠そうとするのだった。
もう今日は一護に会うのは諦めようかと思ったところで、部屋の中の会話が途切れた。
耳を澄ますと、一護が部屋から出て行ったらしい。
どこかに出かけるのだろうか。
ということは、今一護の部屋には朽木が一人でいるのか。
すぐに戻ってくるのだろうか。
…などといろいろ考えているうちに、先程まで聞いていた一護の声が思い出され、顔が見たくて仕方がなくなってしまった。
そんな精神の乱れからか、完全に消したはずの霊圧はどうやらかすかに漏れてしまっていた。

それに気づかず、一護の気配を追う日番谷のすぐ隣の窓が突然がらりと開いた。
そこから顔をのぞかせたのは、先程まで楽しそうに一護と会話していた朽木ルキア。

『あ!日番谷隊長、いらしてたんですか!』
『あぁ…』

ルキアは日番谷の姿を確認すると、多少驚きつつも恐縮したように声をかけた。
その声にに、動揺を悟られまいと努めて平静を装い、軽く返事を返す日番谷。
いつも以上に表情の読み取りづらい日番谷の様子をうかがうルキアだったが、かすかに揺れている日番谷の瞳に気づくと、思い切って聞いてみた。

『日番谷隊長!い…一護の奴に何かご用でしょうか?あやつは今、一階に飲み物を取りに行っておりますが、すぐ呼びましょうか?』
『いや、いい。ただ様子を見に来ただけだ』
『様子ですか?一護の…?』

ルキアは一護と日番谷がただならぬ仲なのを、薄々気づいている者の一人だったが、松本のように、二人の間をからかったり、踏み込んで聞いたりするほどの度胸はない。
なので、今のような微妙な物言いには多少敏感に反応してしまう。
だが、いつからいたのかはわからないが、今来たばかりというわけではなさそうだし、いつもの日番谷であれば時間を無駄にしないためにも様子を見るだけであれば、さっさと用件を済ませて自分の任務に戻るはずだ。
ということは、プライベートで日番谷は一護に会いに来たということになる。

目を丸くしているルキアに、日番谷はちらりと一瞥をくれると口を開いた。

『最近のこの辺りの虚についてだ…』

一瞬たじろいだルキアに、日番谷が付け足す。
ルキアは『あ?え、あ、はいそうですよね…』などと、うろたえながらぶつぶつと独り言をくりかえしている。

『あいつも一応は、死神の一員だからな、何かあったときの為にも、普段から報告を怠らない方がいい』
『そ…うです…よね、はい!その通りです!』
『…あぁ…』

一応、という所を強調し、日番谷は説明をした。
その苦し紛れの日番谷の言い訳に、ルキアは不自然な作り笑顔で肯定をしてみせた。
そして、微妙な沈黙が二人を包む。

あまり普段から関わってもいない一護と日番谷が、最近いつも人目を避けるように会っているのは、近しい者なら相当鈍感ということでもなければ気づくことだ。
だが、『恋人』という言葉を聞いただけで、真っ赤になってしまう人一倍恥ずかしがりの日番谷が、一護と自分がそのような関係になっている事が知られるのは、あまり喜ばしい事ではない。
だから、人前では気のないそぶりをしたり、いつも以上に不機嫌な顔になっている事が多かった。
松本のようにからかっているのか、応援してくれているのか分からない様な扱いをしてくる者もいるが、たいていの者は日番谷が隊長ということもあり、見てみぬふりをするのだ。
一護はと言えば、そんな日番谷を気遣うように、努めて普通に振る舞ってくれていた。
そんな一護に、日番谷はこっそり感謝していた。

日番谷とルキアが、この居心地の悪い空気をなんとかしなくてはと、考えを巡らせていると、階下からゆっくり足音が近づいて来た。
そして、ほどなくして部屋の扉が開くと、この部屋の主である一護が飲み物を入れたカップを両手に持って、器用に肩で扉を押さえて中へ入って来た。
自分のが席を外した数分のうちに、部屋に訪問者が一人増えていた。
一護はその新たな客を見るや嬉しそうな顔をしたが、ルキアのいる手前、すぐに平静を装い落ち着いた声で挨拶をしてきた。

『お?冬獅郎じゃん!どうしたんだ?何か用か?』
『いや…別に…最近のお前の死神の仕事っぷりを監督しに来ただけだ』
『…なんだよ…先にいってくれりゃあ…飲みもんくらい用意したのに…』
『すぐに戻るからいい……ところで虚の…』

そのまま仕事の話をし出しそうな日番谷に、ルキアが慌てて止めに入った。
この様子からすると、日番谷は本当にプライベートでここへ来ているようだ。
普段より深く刻まれた眉間の皺が、今のこの状態を快く思っていないのが見て取れるし、仕事の話をするにしては一護の方に体も向けていなければ視線すらあわせようとはしていない。
いたたまれない雰囲気に、ルキアは思いつくまま、口からでまかせでこの場から退散する口実をまくしたて始めた。

『あ!あの!日番谷隊長!わたくし、そういえばこやつの…一護の妹から、買い物を頼まれていたのを思いだしました!』
『あ?そうなのか?』
『え…さっき遊子なら、スーパー行くって…ってー!』

突然のルキアからの言葉に、一瞬きょとんとした顔をする日番谷。
一護はいったい何を言い出すのだという顔で素騎亜を見下ろしている。
自分がキッチンでで飲み物を入れている時に、遊子が買い物に出て行ったのを見ていた一護はルキアの台詞に疑問を投げようとした。
だが、ルキアはその一護のすねをおもいっきり蹴飛ばして、余計なことを言おうとする口を黙らせた。
そして、改めて日番谷に向き直り、平身低頭してはいるものの、反論する暇もないまま一方的に話を進めだした。

『申し訳ありませぬが、私これから現世のスーパーマーケットというところへ行って参りますので、こやつの…一護の事をしばらくお願いいたします』
『……いや…オレもすぐに…』
『何だよルキア!お前がのみてーって言ったからこれにしたんだぞ!せっかくいれたんだから飲んでけよ』

すねを擦りながら、一護はテーブルに置かれたアップルティーを指差した。
アップルティーからはとても良いリンゴの香りがしていて、おいしそうに湯気を立ち上らせているそれに、実は日番谷も気にはなっていた。
自分が飲んだことが無いものを、一護とルキアが良く飲んでいたということも気になることの一つだった。
またしてもマイナスの方向へ傾きかけた思考を振り払うように軽く頭を振る日番谷に、再びルキアがまっすぐな視線を向けてきた。

『すみません、今日はスーパーという所が特売日という日らしいのです。そういうことですので、店が閉まる前に急いで行かなくてはなりません。。…日番谷隊長、申し訳ありませぬが、こんな飲み物でもせっかく一護がいれてくれたものですので、お口に合うかどうかは分かりませぬが、飲んでいただけませんか?』
『なんだよ…オレがいれたんだから、うまいにきまってんだろーが…』

不満をこぼす一護を無視して、ルキアは一気にまくしたてると、日番谷に自分の分のお茶を進め、出かける為に立ち上がった。
さっさと部屋から出ようとするルキアを日番谷が止める。

『でも…朽木、これお前が飲みたかったんじゃ…』
『いいんです!それよりも特売日の方が重要なのです!そう、今日の特売日では、このアップルティーもいつもよりかなり安くなると広告にでておりました!日番谷隊長が、コレを気に入ったようであれば、この朽木、日番谷隊長の為にいくらでもこのアップルティーを買って参ります。ささ!味を確かめるためにもぜひ飲んでみてください!』
『そ…そうか…わかった…の…飲んでみる…』
『では、行ってまいります!一護!私は遅くなるかもしれんから、日番谷隊長によく指導してもらうのだぞ!』
『うるせーよ…全く…』

瞬く間に一護の部屋から出て行くルキア。
部屋に残された日番谷は、ルキアの様子に少々あっけにとられ、惚けてしまった。
一護は、オレンジの頭をがしがしかきながら、もごもごと文句を言っている。

『ま…いっか…冬獅郎?アップルティー、飲めよ』
『なんだ?それ…』

リンゴの匂いが充満しているのだから、リンゴ味の飲み物だというのはわかったが、アップルティーなどと聞き慣れない横文字を使われると、現世に慣れていない日番谷にはわかりづらい。

『紅茶にリンゴの味つけたやつ。お前リンゴジュース好きじゃん。結構うまいから飲めば?』
『…あぁ…』

ルキアが飲むはずだった紅茶を覗き込みながら、日番谷は曖昧な返事をする。
顔にふわりとかかる湯気はとてもいい香りで、澄んだ赤みがかったオレンジ色の紅茶はおいしそうだった。

『ほら…まだ熱いから気をつけろよ?』
『…おい黒崎…オレは子供じゃねーんだから…』
『一護だ』
『……』

日番谷に紅茶を渡しながら注意する一護に、反論しようとした日番谷が一護の事を名字で呼ぶと、すかさず訂正された。
紅茶を受け取ろうとした日番谷は、その一護の真剣な声に思わず体がこわばるのを感じた。
一護は紅茶をいったん机の上に戻すと、両手を腰に当てて日番谷を見下ろしながら口を開いた。

『もうルキアもいねーし、いつまでもそんな難しい顔してんなよ』
『…別に…』
『ほら!コレ』

一護は日番谷の眉間を人差し指でつつくと、顔を覗き込んでにやりと笑う。
日番谷は一護の指を払いのけ、一瞬一護を睨んだ後すぐにうつむいてしまう。
その日番谷の姿に照れているのだと気づいた一護は、口元をほころばせる。

『オレに会いにきてくれたんだろ?』
『…ちげーよ…』
『じゃあなんだよ。仕事の話ならいつも先に連絡入れるじゃねーか』
『……突然来たら悪いのかよ…緊急な任務かもしれねーじゃねーか…』
『別に?オレは冬獅郎が来てくれるだけで嬉しいし…まぁ、任務関係は遠慮したいけどな…』

日番谷が顔をあげると、にっこりと笑った一護。
日番谷が一番好きな一護の顔。

『…いち…ご…』
『おう…なんだよ』

顔を真っ赤にしながら、うつむいたままなんとか一護の名前を呼ぶ。
一護は、数歩後ずさって自分のベッドに腰掛け、微笑んだまま日番谷の次の行動を待った。
日番谷は床に座っていたのだが、ベッドに腰掛けた一護に見下ろされると、居心地が悪そうにもぞもぞしだした。

『冬獅郎…』

優しく名前を呼ばれ、びくんと日番谷の身体がはねる。
その勢いで、思わず上げてしまった顔。
一護と視線がぶつかり、真っ赤だった顔が更にリンゴのようになってしまった。

動くことが出来ず、しばらく固まったままだった日番谷が一護と視線が合うと、その優しい瞳に吸い寄せられるようにふらふらと立ち上がり、一護の方へ足を踏み出した。

『一護…』
『おいで…冬獅郎』
『うん』

小さく返事をすると、それまでぎこちなかった日番谷の動きが急に滑らかになり、一護の首に手を回して思い切り抱きついた。
そのまま腕に力を入れ、しがみつく。
一護もまた、腕の中に飛び込んで来た日番谷の小さな背中を力強く抱きしめた。

『オレと二人だけの時はたっくさん甘えるって約束だろ?』
『…し…しかたねーだろ…んなこと言っても…』

一護の首筋に顔を埋めて話す日番谷。
こんな自分の行動が恥ずかしくて一護の顔を見る事ができない。

『全く…お前はほんっとに意地っ張りだな』
『うるせぇよ…』
『ま、いーや…せっかく冬獅郎が来てくれたんだし。あ、お茶飲もう?』
『あ…うん』

抱きつく事で隠していた真っ赤な顔を、これ以上見られるのは嫌だったが、いくら時間が経ったところでこの顔色が変わらないことは承知しているので、仕方なく日番谷は諦めて、いったん一護の腕から離れた。
相変わらずな日番谷の反応に、一護は愛しさを一層つのらせる。
普段の日番谷からは全くと言っていいほど想像出来ない、一護だけが見る事の許された可愛らしい姿。
赤く染まった頬や耳、困ったようにさまよう瞳、そわそわと落ち着かない仕草も、全て自分だけのものだと思うと、一護は嬉しくてたまらない。
この見目麗しくも、まだまだ子供な可愛らしい隊長が、自分にこんなにも全身で愛情表現をしてくれるのだから、一護も精一杯の愛を捧げたいと思う。

相変わらずぎこちなくベッドに座って、足をぶらぶらさせている日番谷に、一護は紅茶を手渡した。
小さな手でマグカップを受け取った日番谷は、一護を上目遣いで見上げると、はにかんだような微笑んだような、何とも言えない表情でささやくように言った。

『ありがと…』

カップに口を付ける日番谷を見ながら、今度は一護が熟れたトマトのように真っ赤になる番だった。
滅多に見る事の出来ない日番谷の微笑み。
微笑みと呼べるかどうかも疑わしいほど、かすかな表情の変化なのだが。
だが、美しい翡翠の大きな瞳がほんの少し細められ、普段は深く刻み込まれている眉間のしわがなくなっただけで、まるで天使の微笑みに見える。
少なくとも一護にはそうみえるのだった。

自分の分のお茶を取り、日番谷の隣に腰かけた一護は、この幸せな時間が少しでも続くよう、ルキアの帰りが少しでも遅くなるように祈った。

最も今日は黒崎家に帰ることは出来ないと早々に決めたルキアは、本日の宿を求めてとりあえず井上織姫のマンションへと向かった。
本当に特売日であったスーパーで、日番谷の為にと両手いっぱいにアップルティーを抱えて…。