『不満と戸惑い2』

しばらく二人の出す食器の音だけが響き、先に食べ終わった一護が店内に軽く視線をさまよわせながら、食後に運ばれて来たアイスティーをすすっている。
グラタンはすっかり冷めて、表面も乾燥してしまいパサパサして喉を通らなくなって来た。
オレはもう食欲もなくなって、半分ほどグラタンの残った皿を脇に避け、スプーンを置いた。
その様子に気づいた一護が、いつもなら『もうくわねぇのかよ』とか『残すなよ!ったくほら…オレが食うから寄越せ!』とか言い、オレの残した残飯をきれいに平らげるのだが、今日はちらりとオレの残した食事に視線を走らせただけで、何も言ってはこなかった。
沈黙の続く嫌な雰囲気の中、オレは少しでも胸つっかえたような苦しさを紛らわそうとオレンジジュースに口を付け、思いっきり吸い上げた。

『げほっ……』

思いっきり吸ったせいか、変なところにジュースが入ってしまい、むせてしまった。
苦しんでいるオレに、はっとした一護が手を伸ばしてきたが、すぐに引っ込め、

『大丈夫か?』

とだけ聞いてきた。
涙目になりながら一護を見ると、視線を外される。

『ん…へーき…』
『じゃあ…帰るか』

一護が支払いをする為に伝票を持って立ち上がり、さっさと出口へ向かう。
オレはまだ少し咳き込みながら、慌てて後を追った。

レストランの外に出たオレ達は、少し距離をあけて無言で歩く。
一護の様子をこっそり伺うと、機嫌が悪いようでもなく、やっぱり先程と同じ様にただ寂しそうだった。
まだ器官にジュースが残っている気がして、軽く咳払いをしながら歩くが、一護は振り向きもしない。

いつも、いつも優しい一護。
オレが何かを言う前に、察してくれる一護。
だから、何も言わなくてもいいものだと思っていたし、それがオレにとっての甘えだとも思っていた。
だが、一護はもっと甘えて欲しいと言う。
それは多分、言葉や行動に表せという事なんだろう…。
オレだって一護に甘えられるもんなら、出来るもんなら素直にそうしたい。
だけど、オレの性格や変なプライドが邪魔をして、なかなか甘えることが出来なかった。
普段は軽口を叩きつつ、笑いながら愛想の無いオレに突っ込みを入れてくる一護だが、やはりオレはそれにも無愛想に返すか、からかわれたことに対して噛み付くかしかしていない。
正直必ず後から反省して落ち込むのだが…。

あまりにもオレが、一護に対していつもつっけんどんな態度なので、さすがの一護も怒ってしまったのだろうか…。

もしかしたら…オレは嫌われてしまったのだろうか…。

そう思ったら、急に体に寒気が走り、胸がぎゅうっと締め付けられるみたいに苦しくなった。

人に甘えることなんて恥ずかしいし、情けない事だと思うのに、一護は自分にもっと甘えてこいと言う。
死神で護挺十三隊の隊長という立場で多くの隊員を従えているオレには、普段の生活に甘えなんて許されないから、どうしていいかもわからない。
そりゃ……大昔は雛森に甘えたり、ばぁちゃんに甘えたりもしたけど。
あんまりにも昔過ぎて忘れた。
忘れるように過ごしてきた。

でも…。
少し前をゆっくりと歩く一護の背中を見る。
オレよりもだいぶ大きな背中。
そういえば、いつもオレの少し後ろをオレを守る様に歩いている一護なので、こうして一護の背中を見ることはほとんど無い。
改めてじっと見つめてみた。
そうしたら、なんだかわからないもやもやした気持ちが胸にたまって、吐き気がして来た。
呼吸を整えようと立ち止まり、思い切り深呼吸していると、オレの異変に気づいた一護が振り返った。

その顔は、今にも泣きそうな苦しそうな表情だった。

『冬獅郎?』
『いちご…』

一護のそんな顔を見たら、整えたはずの呼吸が再び乱れ、頭がグラグラしてきた。
先程よりも大きな吐き気が襲ってきて、何度も何度も大きく息を吸い込み、吐き出すことを繰り返す。
なんとかこの不快感をやり過ごしたかったが、苦しさは増すばかりで、とうとうオレは俯いて手を胸に当てる。
寒気は全身に広がり、下を向いたオレの目に映ったのは震える自分の足だった。

『なんだよ…冬獅郎?具合でもわるいんか?』
『……』

一護が近づいてくるのがわかる。
相変わらず悲しそうな顔をしながら、屈んでオレの顔を覗き込む。
自分だって苦しそうな、泣きそうな顔をしているのに、こんなオレの心配をしてくれる。

『冬獅ろ…』
『お前…なんて顔してんだよ…』
『え…?』

伸ばされて来た一護の腕を避け、なんとか言葉を紡ぐ。
驚いた一護が手を引っ込め、オレの様子を見守っている。

『…一護…泣きそう…』

そこまで言ったオレは、耐えられなくなった吐き気で一旦言葉を止めた。
一護が困惑しているのが伝わってくる。
いっそ、こんなオレの事なんて放っておいてさっさと帰ればいのに…。
なんでそんな顔しながら、オレの心配ばかりしているのか分からない。
全部…全部オレが悪いのに…
一護は少しも悪くない。
こんなに苦しいのだって、自分のせいだ。

『冬獅郎…ほらおぶってやるから…』

そう言って一護はオレに背を向け、しゃがもうとした。
さっき見た一護の背中。
再び見た背中は、先程より近くにあり、いつもより大きく見えて、一護の優しさと暖かさをより大きく感じる。

オレは立っていることも辛くなり、この苦しさに耐えられなくなって倒れそうになったがなんとか踏ん張った。
このままでは、この苦しみから解放されそうもない。
その間にも、背を向けた一護が心配そうな顔でオレを見ていた。

もう我慢できない。
自分にとってとても大きな一歩。
一護がしゃがんでしまう前に…。
オレは意を決すると、最後に大きな深呼吸をして、思いきり一護の背中に抱きついた。
突然のことに一護はびっくりした様子で、大きくよろめいたが、すぐに態勢を立て直し、オレを受け止めてくれた。

『と…冬獅郎?』
『ばか…』
『え……』
『そんな泣きそうな顔すんなよ!』
『…そんな顔してねーって…』
『してる!』

顔を一護の背中に押し付け、勢いに任せ一護の体にまわした腕に力を込めた。
大きくて大好きな一護の温かい手が、オレの両手を包んでそっと撫でる。
そのままオレの腕を解き、体をこちら側に向け壊れ物でも扱うような手つきでオレを引き寄せた。
その目は困ったような、悲しいような、でもとても優しい光。
泣きたくなった。

『ごめ…』
『ん…?』
『いちご…ごめん…』
『…いーよ…』

一護にあんな顔をさせたことが、苦しくてしかたなかった。
オレは一護の笑った顔が大好きなのに。
悲しい顔なんて見たくないのに、そうさせてしまったのがオレ自身だなんて悔しくて悲しかった。

先程よりも落ち着いた呼吸。
あと一歩近づけば、一護は笑ってくれるだろうか。
一護の胸に額を押し付け、シャツを握った手に力を込めて、思い切って口を開いた。

『なぁ…一護…』
『ん…?』
『オレ…行きたいとこ……あるんだ…』
『ん…?冬獅郎どこ行きたい?』
『…ゆーえんち…』
『遊園地か…そっか…』

消え入りそうな声でなんとか伝えてみた
オレの頭を撫でてくれている手がふと止まる。
おそるおそる一護の顔を伺うと、泣きそうなのに、とてもあったかくて優しい表情だった。
オレと目が合うと、にっこり微笑んだ。
いつもの一護の笑顔だった。
オレはその一護の顔から目が離せず、瞬きも忘れて見入ってしまった。
大好きな一護が、笑ってくれた。
ただそれだけでこんなにも嬉しい。

『明日さ、いこっか?』
『…うん』
『じゃ、今日は早く寝よう』
『うん』
『冬獅郎の苦手な早起きだからな』
『…ん』

いたずらっぽく笑うと、一護はオレの頭をくしゃりと乱暴に撫で、そのまま手を背中に添えてきた。

『早く帰ろ』
『うん』

思い切って、自分のちょっとした望みを伝えただけなのに、呼吸もだいぶ楽になり、さっきまでの吐き気ももやもやも苦しさも、全部きれいさっぱり無くなったのがわかる。
代わりに、すごくくすぐったい感じが全身に広がって、寒気でこわばっていた手がじんわり暖かくなっている。
なぜだか照れてしまい、思わず一護から目をそらした。
くすりと笑った一護が、手を差し出してくる。
一瞬戸惑ったが、素直にその手を握り返して、再び歩き出した。
一護に引かれるように歩きながら、こんなのも悪くないかも…と思う。

『ありがとな…冬獅郎』
『…』
『無理させてごめんな?』
『…無理なんて…別に…』

ただちょっと…すごく恥ずかしいだけだった。
でも、たったこれだけのことで、一護が喜んでくれたことに驚いた。
一護が笑ってくれたことが、本当に嬉しかった。

オレはもうちょっと自分の気持ちを、一護に伝えられるようにした方がいいのかもしれない…と真剣に考える。
ちょっとした言葉や、行動で確かめ合える何かがあるのなら。
好きとか、愛してる、とかなんて、絶対に言えないのはわかっているから…。
だったら少しくらい子供っぽくても、欲しいとか、行きたいとか、ただのちょっとした望みを伝えるだけでいいのなら。

『一護…遊園地行ったらさ、あれ乗りたい』
『あれ?あれってなんだよ』
『あの、ぐるぐる回るやつ』
『おう!朝イチで行ってすっげ乗ろうぜ!』

すっかり笑顔の戻った一護に、心の中で(単純な奴)なんて思いながらもオレも少し前進した一護との関係が嬉しかった。
オレは思わず、微笑んだ。
自分でも不思議なくらい自然に笑みを浮かべた気がする。
そのオレの顔を見た一護が急に真顔になって、次の瞬間顔が真っ赤になっている。

それに気づいたおれも、不意に正気に戻って、恥ずかしさのあまり顔を背けた。
だがすぐに、ぎこちなくお互いを見つめ笑い合う。

明日はもっと甘えよう。
もっと一護に近づきたいから。
たくさんの一護の笑顔が見たいから。