『クレヨン』(一護、小学生。冬獅郎、園児)

週末の雨の日、子供部屋の中では、外に出て遊ぶ事の出来ない兄弟が、それぞれに何か楽しめるものはないかと探し、兄の一護は漫画を読み返す事にし、弟の冬獅郎は画用紙に絵を描くことにした。
一護は早速自分の学習机に漫画の単行本を積み重ね、最初から読み始めた。
冬獅郎は、ごそごそとイチゴのものより一回り小さい自分の学習机から画用紙を取り出し、次いでクレヨンを幼稚園用のバッグからだそうとして、ふと動きを止めた。

『いちご!クレヨンかして!』
『えー…お前自分のあるじゃん!自分の使えよ』

冬獅郎は一護の机に両手をついて背伸びをし、兄の顔を覗き込んでおねだりを始めた。
一護は、単行本の読んでいたページに指を挟み、冬獅郎を横目にちらと見ると、ため息をつきながら答え、もう一度漫画の世界に戻ろうとした。

『ない!いちごのかして!』
『うそつけ…あるだろー…』

上の空で、漫画を読みながら適当に答えると、冬獅郎は一護の読んでいる漫画の上にばんっと手を置いて、一護の視界を遮った。

『おい…』
『なぁなぁ!かしてってば!』
『……まったく…』

まだ小さい冬獅郎のクレヨンは12色。
一護は小学4年生、だから少し多い18色のセットを買ってもらっていた。
冬獅郎は、自分のクレヨンのセットには入っていない色を使いたくて、自分のクレヨンがバッグの中にちゃんとあるのに、一護のものを使いたがるのだ。

始めは一護もお兄さんなので、快く貸してやっていたが、毎度毎度、冬獅郎が使った後は折れたり、色が混ざってしまったり、箱が汚されたりしていて、割と綺麗好きで、ものを大切にしたがる一護としては、自分のクレヨンが戻ってくるたびにがっかりしていた。
だが、年上ということで、今までぐっと我慢していた。

一護はしぶしぶ立ち上がると、棚に仕舞ってあったクレヨンを取り出し、弟に手渡した。

『もー、今度は汚すなよ!』
『わかってるもん』
『…ほら…』

嬉々として一護からクレヨンを受け取り、大きな画用紙に絵を描き始めた弟の姿を見ながら、一護は軽くため息をついた。
そして、無事に手元にクレヨンが戻ってくるのを祈りつつ、自分の机に向かい、漫画に没頭し始めた。

そひて、しばらくはおとなしく絵を描いていた冬獅郎だが、どうやら飽きてきたらしく、クレヨンや画用紙を片付けもせずに、今度は部屋の隅に積まれたおもちゃを物色し始めた。

一護は、ちょうど話が一段落したところだったので、単行本を置き振り返った。

『とーしろー!ちゃんと片付けろよ!』
『あとで』
『今片付けろ!』
『やだ!』

予想通りの散らかりぶりに、ため息が出る。
冬獅郎は片付けると言う事を知らない。
出したら出しっ放し、食べたら食べっぱなしだ。
もちろん脱いだ服もそのまんま。
もう幼稚園に入ったのだから、少しは自分で自分の事をやってほしい…と、一護は小学生とは思えないような事を常々考えていた。

相変わらず言うことを聞かない冬獅郎に飽きれつつ、一護は諦めずに言い聞かせる。

『幼稚園でもちゃんと片付けろって言われるだろ!家でもちゃんとしないとだめだぞ』
『じゃあいちごがかたづければいいじゃんか』
『自分のは自分でやるんだよ!』
『オレはいーの!』
『おまえ!言うこと聞けよ!今日おやつやんねーぞ!』
『いちごがきめんなよ!おやつくうもん!』
『だーめ!お前のケーキオレが食っちゃうから。嫌だったら片付けろ!』

しばらく『片付けろ』『イヤだ』の言い合いをしていたが、おやつの話題になるといっそう口喧嘩がヒートアップしだした。

今日のおやつは冬獅郎の大好きなロールケーキ。
もちろん一護も大好きだ。
だが、冬獅郎はその大好きなケーキが貰えないと言われて、すっかり怒ってしまった。
一護は弟に言い聞かせるのをやめ、無言で机から離れ、リビングへ行こうとした。
もう、これだけ言っても聞かないのなら、仕方ない。
実力行使だ。
だが、一護が自分のケーキを食べてしまうという危機感に襲われた冬獅郎は、慌てて立ち上がった。

『おれケーキくうもん!』

叫びながら一護の後を追いかける様な形で、走ってくる。。

『だめだ!ちゃんとクレヨン片付けたらだ!』

一護は振り返り、ドアの前に仁王立ちして、冬獅郎の行く手を遮った。
冬獅郎はといえば、右に左に動きなんとか一護を避けて部屋の外へ出ようとするが、一護はその度に冬獅郎を捕まえては部屋に戻す。

『どけよ!』
『だめったらだめ!いいかげん片付けろ!』

とうとう一護は大声で怒鳴った。
普段、滅多にこんな大きな声を一護は出さない。
そんな兄の声に一瞬怯んだ冬獅郎だったが、涙目になりながらもなんとか反撃しようと、一護に向かっていく。
でも、まだ小さい冬獅郎が一護に力で勝てる訳もなく、またしても軽く突き飛ばされ、部屋の床にコロコロと転がった。

『なんだよぉ!』
『お前が悪いんだろ!冬獅郎!』

必死に起き上がりながら、冬獅郎はすぐそばにあった一護のクレヨンを数本掴み、半泣きになりながら、一護に向かって投げた。

『いて!』

すかさず、また何本か掴んで投げた。

『おい!やめろって!』
『だって!だって…いちごが!』

一護がケーキくれないんだもん…と言おうとして、一護を睨み上げた冬獅郎だったが、一護の様子がおかしい事に気づき、口をつぐんだ。
冬獅郎の投げたクレヨンが一護の目に、思い切り当たったのだ。
目を押さえてしゃがみ込んだ一護に、冬獅郎はびっくりして動けなくなってしまった。

『い…いちご…?』
『………』

おそるおそる声をかける冬獅郎。
うずくまる一護からは返事が無い。

『いちご?』

じっと瞬きもせずに兄を見つめていたが、一護は全く顔を上げず、ぎゅっと目を押さえたままだ。
さすがに自分は大変なことをしたのだろうかと、冬獅郎は焦りだした。

実は、クレヨンの当たった場所は、目と言ってもまぶただったので、一護としてはたいして痛くは無かったのだが、あまりにも言うことを聞かない冬獅郎を少し脅かしてやろうと思い、うずくまって大げさに痛がっていたのだ。
どうやら効果はてきめんで、冬獅郎は今にも泣きそうな顔で、一護の様子をうかがっている。

『いちご…?』

そっと一護に近づき、下から一護の顔を覗きこむ冬獅郎。
大きな目には、溢れそうになるほど涙が溜まっていた。

『いちご…?いたいの?』
『……』

もうすっかり涙声の冬獅郎。
騙すのは少し可愛そうだとは思ったが、これも弟の為と一護はじっと動かない。

『いちご…!いちごぉ!』

とうとう泣き出した弟。
一護は押さえた手の隙間から、冬獅郎を盗み見た。
顔をくしゃくしゃにして、自分のしでかしたことに相当びっくりしているようだ。
そろそろ許してやるか…と目を押さえていた手を離した。
すると、びーびー泣いていた冬獅郎は、ビクリと動きを止め、一護を見つめた。

『ふぁ…いちご!』
『痛いじゃないか冬獅郎…』
『だって…だって…』
『だってじゃないだろ?オレすっげえ痛かったんだぞ?』
『………ごめ…んなさい…』
『きーこーえーなーいー』
『…!…ご…ごめんなさい!』

必死に一護の服を掴んで、涙声で謝ってくる冬獅郎に、一護は良くできました、と頭を撫でてやった。
兄が笑顔になった途端、すぐに冬獅郎は一護に飛びつき大声で泣き出した。

『まったくー…もう物投げたりしちゃだめだぞ!』
『…うぇ…ぅん…』
『ちゃんと片付けして、一緒におやつたべよう?』
『…うん…』

一護にしっかりしがみついたままの冬獅郎をなんとかひっぺがし、二人で散らばったクレヨンを箱に仕舞う。

『あ…』
『どした?冬獅郎?』

小さな弟の悲鳴が聞こえ、一護は手を止めて様子をうかがう。
冬獅郎は両手に折れたクレヨンを持って立ち尽くしていた。
先程冬獅郎がクレヨンを投げたときに、黄色が折れてしまったようだ。
まっぷたつに折れたクレヨンを見つめ、うなだれている弟を見て、一護はその小さな手からそっとクレヨンを取る。

『床に当たった時折れちゃったんだな…』
『…う…』

しばらくうつむいていた冬獅郎だったが、はっとして突然駆け出した。
そして、自分の幼稚園のバッグを漁りはじめた。
ごそごそと取り出したのは、クレヨンの箱。
その中から黄色のクレヨンを選んで、しっかりそれを握り一護の元に戻ってきた。

『これ…いちごのととりかえっこする』
『え…?』
『いちごの折ったの…おれだもん…だからおれのととりかえっこ…』
『冬獅郎…』

ずいっとクレヨンを差し出してくる冬獅郎に、一護はなんだかたまらなくなって、何度も小さな頭を撫でた。

『ありがと…でもいいよ。オレ、もうクレヨンあんまり使わないし。冬獅郎は幼稚園でいっぱい使うだろ?』
『でも…』
『いいから!ほら、それよりもクレヨンきちんとしまって、はやくケーキたべよ?おれ おなかぺこぺこだ』
『おれも!おれもぺこぺこ!』

一護は大げさにお腹を押さえ、顔を曇らせて見せた。
すると、冬獅郎お腹が可愛く鳴って、一護は思わず吹き出してしまった。

『早くいこーぜ!』
『うん!』

嬉しそうに冬獅郎は自分のバッグにクレヨンをしまい、ぱたぱたと一護の元へ走ってくると、きゅっと小さな手で一護の手を握ってきた。

一護はその小さな手力強く握り返すと、我が儘だけど、だれよりも可愛らしい弟を連れて、リビングへ降りていった。

今度は、どちらのロールケーキが大きいかで再び喧嘩する事を、このときの二人はまだ知らない…。