『おむかえ2』

『一護!一緒にかえろーぜ!』

放課後、帰り支度をしていた一護の背中ににクラスメイトの元気の良い声がかった。
教科書をカバンに詰める手は止めず、一護は視線を上げ、満面の笑みで一護の支度が整うのを待っている友人に申し訳なさそうに答えた。

『わりぃ…オレ、今日からバイトなんだ』
『え?何?お前バイトすんの?なになに?女でも出来た?』
『ちげーけど……じゃな…まった明日ー』

バイトと聞くや、興味深々な態度丸出しで矢継ぎ早に質問を浴びせてくるクラスメイトに一瞥をくれ、一護は早々に教室を後にした。

アルバイト先のファミリーレストランは、一護の通う学校から歩いて15分程の所にあった。
学校帰りの生徒もよく立ち寄るところなので、顔見知りに見つかってからかわれるのも心配だったが、他に良いバイト先も無かったのでここにした。
それに、店長がとても良い人そうだったし、時給も悪くない。
一護の家と学校、そしてバイト先の店をそれぞれ繋ぐと、きれいな三角形になる距離だった。
一度家に帰って自転車で通おうかとも思ったが、冬獅郎に見つかっては家を出ることが出来なくなるので、仕方なく歩いて通う。

(あいつへーきかな…)

我ながら過保護だとは思うが、あの不安そうに一護を見上げてくる大きな目を思い出すと心配にならずにはいられない。
雲が流れる空を見上げ、家で待つ小さな可愛らしい子供の事を考える。
余計なことを考えずにまず仕事を覚えなくては…と、一護は一度大きく頭を振った。
なにはともあれ今日からアルバイトが始まる。

その頃、例の子供は、いつものように一護の帰りを今か今かと待っていた。

『とーしろーくん?ごはんだよ?』
『……』

幼稚園から帰り、おやつも食べずに兄の帰りを待つ冬獅郎の背中に、遊子がおずおずと声をかける。

夕日が沈んだ頃から、冬獅郎は玄関のマットの上にちょこんと膝を抱えて座り、一護の帰りを待っていた。
冬獅郎が、マットに陣取ってからすぐに勢いよく玄関が開いて、冬獅郎は弾かれたように顔を上げたが、すぐにその表情は曇った。

『ただいま!』

元気に帰って来たのは夏梨。
夏梨は靴を脱いで、持っていたサッカーボールを玄関の隅に置き、マットの上に座っている冬獅郎の顔を覗き込んだ。

『とーしろー!そんなとこいないであっち行こう!』

手を引いてリビングへ連れて行こうとするが、冬獅郎は小さな手を思い切り振り回し、夏梨の手を取ろうとはしない。
夏梨はすぐに諦め、ため息をつくと靴下を脱ぎながら『先にお風呂入るから』と言い残し浴室に消えた。

『いち…ごぉ…』

夏梨が浴室へ入り、サッカーの練習でたくさんかいた汗を流し、髪を乾かして友達から借りた漫画を読み始めても一護は帰って来ない。
まだ時計の針が読めない冬獅郎だったが、遊子が台所にたち、夕ご飯の準備をし始める頃にはいつも一護が帰ってくるのは知っていた。
玄関まで夕食のいいにおいが立ちこめ、遊子が冬獅郎を食事に呼ぶ為に玄関へと出て来た。

『冬獅郎くん。おにいちゃんね、今日からアルバイトなの。だから少し帰りが遅くなるんだって。だから先にご飯たべよう?』
『え…?いちご…まだかえってこないの?』
『うん…あと…何時間かすれば帰るからね?ご飯…食べよ?』
『…うん』

返事はしたものの、動こうとしない冬獅郎をなんとか玄関マットから引きはがし、遊子は小さな手を引いてリビングへ戻った。
椅子に座らせてもうつむいたまま、晩ご飯を食べようとしない冬獅郎。
遊子と夏梨と一心と、3人掛かりでなんとかかんとか食べさせた。
大好きなマカロニサラダですらほとんど残してしまい、夏梨が、もういらないのかと聞くと、一護の分だと言って蓋の代わりのつもりなのか、テレビの脇のラックから新聞を持って来て、自分の残した食事の上にかけた。
仕方がないからと、しばらくそのままにしておくことにし、遊子は他の食器を片付け始めた。
その後は、またすぐに玄関へ行こうとする冬獅郎を夏梨が引き止め、一緒にソファに座らせてテレビをつけた。
だが、冬獅郎はテレビには全く興味を示さず、玄関へ続く扉の方ばかりを気にしているようで、ずっと落ち着かなかった。
一時間のバラエティ番組も終わり、短いニュースが流れ始めた時。

『ただいまー…』

玄関の開く音とともに聞こえた声に、ソファの上でクッションを抱きしめてじっとしていた冬獅郎がパッとソファから飛び降り、玄関へ向かって走った。

『いちご!』

玄関に座ってスニーカーの紐をほどいていた一護の背中に冬獅郎は飛びつき、一護はその衝撃でつんのめりかけた。
背中にぶら下がった状態の冬獅郎をひっぺがし、床に降ろした。

『うわっ!冬獅郎!まだ寝てなかったのか…?』
『いちご!おそぉい!』
『ごめん…冬獅郎、飯はちゃんと食ったか?』
『くった!いちごは?いちごのごはんオレとっといた』
『とっといた?お前また残したのか?ダメだぞちゃんと食べないと…おっきくなれないぞ?』
『いーの!いちごだってちゃんとくわないとおっきくなれないんだぞ!』
『…そっか…ありがとな』

自分はバイト先のまかないで夕食を済ませて来たのだが、もう一度晩飯を食べることになってしまい、一護は軽くため息をつき、必死に足にしがみついてくる小さな身体を抱き上げた。
すぐに一護の首筋に、小さな手が絡まり、すべすべの柔らかな頬がすり寄って来る。
ふわふわの髪がくすぐったい。
とりあえず冬獅郎をリビングに連れて行き、家族に帰宅を告げると、一護は鞄を置きに自室へと向かう。
服を着替えリビングに行くと、テーブルの上には広げられた新聞があり、その下にはどうやら冬獅郎がとっておいてくれたらしい一護の為の食事。
一護が冷蔵庫を開け、お茶で喉を潤している間に、ぱたぱたとテーブルに走り寄り、新聞をばさりとめくってくれる冬獅郎。
そのままダイニングの椅子に座って、『早く食べろ』と言わんばかりに一護を見ている。
一議は軽く苦笑すると、冬獅郎の残しておいてくれた、冷めきった夕食を腹に押し込んだ。

『おい…冬獅郎もう寝なきゃじゃんか…風呂は?』
『いちごとはいるもん』
『はいはい』

時間を見ればもう22時を回っていた。
バイトが21時までなので、当たり前といえばそうなのだが、冬獅郎がこんな時間まで起きていては明日の朝が大変だ。
慌てて風呂に入れ大急ぎで身体を洗ってやるが、暖まる為に湯船に浸かっている途中で、限界が来た様で、冬獅郎は一護の膝の上で寝入ってしまった。

(やべーなー…こんなん続いたら大変だぞ…)

しかし、今日から始めたばかりのバイトを辞めてしまう訳にもいかないし、何より冬獅郎の為だ。
早く自分のいないこの環境に、冬獅郎が慣れてくれるのを待つしか無かった。
すっかり眠ってしまった冬獅郎を抱え風呂から上がる。
初めてのバイトで一護も疲れてはいたが、明日の授業の為の予習と宿題も片付けねばならなかったので、冬獅郎をベッドに寝かせ、盛大に欠伸をしながらも机に向かうことにした。
明日もバイトがあるのだ。
自分も早くこの状況に慣れなければと思いながら、一護は大きく背伸びをすると、数学のノートをめくった。

次の日も全く同じだった。
相変わらず、冬獅郎は玄関で一護を待ち、夕食をほとんど一護の為にと残す。
そしてその次の日も同じことを繰り返すこととなった。

アルバイトを初めて数日後、シフトを入れていない日、学校からまっすぐ帰った一護は、玄関先にしゃがみ込んでいる冬獅郎を見つけ、驚いて駆け寄った。
うつむいていた冬獅郎が、聞き慣れた声がしたのに顔を上げ、満面の笑みを返した。

『おかえりいちごー』
『何してんだよ!風邪でもひいたらどうすんだ!』

抱きついてくる冬獅郎の小さな背中を撫でながら、遊子から聞いていたことが本当だったと確認した一護。
しかし、まさか外にまで出てくるとは…。
いくら春になって多少暖かくなったとはいえ、夕方はまだまだ冷えるし、何より郊外とは言っても、いつどこに変な輩が現れるか分かったもんじゃない。

『冬獅郎?ちゃんと家の中にいなきゃだめだぞ?病院が終わるまでならいいけど…病院終わったら家の中にいるんだぞ?』
『うん…でも…』
『でも?』
『いちごいっつもおそいから…いちごさらわれちゃうから…』
『な…』

自分が心配していることと全く同じ心配をこの子供はしていた。
そんな優しい冬獅郎に一護は胸が熱くなったが、感動している場合ではないし、そんなことよりこの子の方が心配だ。

『冬獅郎?オレは大丈夫だから…あのな?前に一回みんなでレストラン行ったろ?』
『れすとらん?』
『ほら…冬獅郎がおっきなホットケーキ食べたろ?遊子と同じの』
『あ!たべた!おっきいほっとけーき!』
『そうそう、オレな?今あそこで働いてるんだよ。だから帰りが少し遅くなるんだ』
『いちご…はたらいてんのか?』
『そうだ。それにごはんも食べさせてもらってるから、冬獅郎は自分の分しっかり食べていいんだぞ』
『いちごはおっきいほっとけーきたべてんのか?』

うらやましそうに瞳をキラキラさせる冬獅郎に、なんだかずれてきた話を修正しようとする。

『え…?あぁ…まぁ違うけど…今度買って来てやるからな?とにかく冬獅郎はちゃんとご飯食べて、お風呂入って寝てるんだぞ?』
『…うん』

ホットケーキの話を聞いて少し明るくなった冬獅郎の表情がまた曇る。

『いちご…またおそくかえってくる?』
『うん…ごめんな…?明日はもう少し遅いんだ』
『ふーん…』

すっかり項垂れてしまった冬獅郎を、一護は困ったように見つめていたが、いつまでもここにいたら自分まで風邪をひいてしまうと思うほど外は冷えて来た。
一護は立ち上がり、冬獅郎を促し家の中に入った。

そして、一護がそばにいると、冬獅郎はよく食べて、さっさと一護と一緒に風呂に入り、きちんと20時には寝てくれた。

『さすがだね…いちにぃ…すげー…』
『本当におにーちゃんの言うことはよく聞くねぇ…真似できないなぁ…』
『感心してる場合じゃねーだろよ…このまんまじゃあいつ、何すっかわかんねーし…さらわれたりしない様に気をつけててくれよ?』
『もちろんだよ!』
『あと…ちゃんとメシも食わしてやってくれな?』
『うん!明日は冬獅郎くんの好きな夕ご飯にするね!オムライスでいいかな』
『あぁ…頼んだぜ。明日はオレ少しバイト長いから…』

明日は金曜日ということで、夜はレストランも混雑が予想される。
ということで、一護は店長に頼まれ、高校生が働けるぎりぎりの22時までシフトを入れたのだった。
だが、そのかわり土日は大学生が多数シフトを入れることもあって、一護は休みにしてもらっていた。
週末は冬獅郎とたくさん遊んでやろう、と少し浮かれてもいた。
だから、夕方自分が余計なことを冬獅郎に教えてしまっていたことにも気づいていなかった。

金曜日放課後、一護は足早にアルバイト先へ向かっていた。
だんだんと仕事にも慣れて来て、皿洗いだけでなくホールにも出してもらえるようになっていた。
まだまだ覚えることも沢山あって大変だったが、少しづつ出来る事が増えるのは楽しかったし、充実していた。
そして、そのすべては来月の家族旅行の為だと思うと頑張れた。
喜ぶ冬獅郎の顔が見れるなら、皿の100枚や200枚いくらでも洗ってやれる気がした。
俄然やる気になって、バイト先のレストランの裏口から元気に『おつかれさまです!』と中に入って行く一護。

だがその頃、またしても冬獅郎は玄関先でしゃがみこんで、一護の帰りを待っていた。
まだ自宅の病院は開いているので、一心は冬獅郎を心配しながらも、患者が出入りするし、窓から小さな背中が見えるので、目を離さないように注意しながら仕事に励んでいた。

『いちご…』

小さな声でつぶやく。
玄関先に生えた雑草をぶちぶち千切りながら、一護の帰りを待つ冬獅郎の周りには千切った草が小さな山を作っていた。
冬獅郎が一瞬空を見上げ、流れる雲を見つめていると、黒崎医院の前を自分と同じくらいの子供と母親が手をつないで歩くのが視界に入った。
冬獅郎はつまらなそうに再び足下の草を抜き始める。
その耳に、楽しそうに歩く親子の会話が聞こえる。

『ママ!今日はパパお迎えに行くの?』
『そうね…パパがね、今日はみんなでご飯食べに行こうって言ってたからお家帰って着替えたら、パパのお迎え行きましょうね』
『うん!パパのお迎え!ママ!はやく!』
『はいはい』

そんな楽しそうな会話を聞きながら、はっとしたように冬獅郎は顔を上げた。

『いちご…おむかえ…』

そう呟いた冬獅郎は立ち上がり、握っていた草から手を離した。
何かに取り付かれたように、ふらふらと玄関を離れ、門の方へ歩いて行く。
その時一心は、ちょうど横になった患者の子供の具合を見ていて、窓が後ろになってしまい、外は見えなかった。
冬獅郎が門を出て行った事に気づかなかった。

冬獅郎は、よたよたと門を出て道路を歩きながら、前にみんなで行ったレストランの場所を目指していた。
といっても、その時は車で行ったし、うっすらと覚えているのはレストランの外観と広い駐車場、そして大きなホットケーキの事だけだった。
道順なんてものはさっぱりわからなかったが、そんなことより一護を迎えに行って一護を喜ばせたかった。
そして何より、自分が一護に早く会いたかった。

昨日一護は、いつもより帰りが遅くなると言っていた。
どのぐらい遅いんだろう。
夜になって、夜が終わって、朝になってからだろうか。
それとももう一回夜が来ないと一護は帰ってこないのだろうか…などと考えながら一護の帰りを待っていたのだ。

先程、家の前を通った親子の会話を聞いた事と、一護がいる場所も一護自身から聞いていたので、自分から会いに行けばいいのだ…と小さな子供は思いついたのだ。

冬獅郎が、家からいなくなったのは、まだ日が傾きかけた頃。

一護が、必死にレストランの夜のピークに合わせ、食材の仕込みをしている頃。
遊子は、学校の宿題を終わらせて、夕食の支度でも始めようかと思っていた。
夏梨は、まだ河原で仲間とサッカーをやっていて、泥だらけで走り回っていた。
そして一心は、学校で転んでしまい、膝とおでこを思いっきり擦りむいたという子供の手当をしていた。

冬獅郎は、自分の記憶にあるレストランの外観だけを頼りに、一護のアルバイト先を目指すこととなった。
一護に会いたい一心で、いつもは怖くて一護の後ろに隠れてやりすごす近所の怖い犬の前も、勇気を振り絞り頑張って通過した。
たくさんの車が行き来する大きな道路も、すごく怖かったけれど、なんとか渡る事が出来た。
そのまま辺りをきょろきょろと見渡し、広く大きなレストランを探す。
小さな冬獅郎の足では1時間近くはかかってしまうであろうレストランは、まだまだ遠い。
少し家から離れてしまってあまり見慣れない風景に少し不安になったが、ちっちゃな手をぎゅっと握りしめ、『いちごのおむかえにいくんだ!』と気合いを入れる。

だんだんと夕日が沈んで、辺りが暗くなってくる。
大きな空に一番星がきらきらと輝いている。
まるで、小さな子供の冒険を勇気づけてくれるように…。