『おむかえ3』

『ありがとうございました!』

レジカウンターから聞こえる元気な声。
その声の主、一護はたった今会計を済ませ、店を出て行く二人連れの女性にお辞儀をし、挨拶をした。

『ふー…さて次は…っと…』

アルバイトを始めて数日、やっと洗い物以外にもフロアの仕事も任せてもらえるようになった一護は、先ほど会計を済ませた客の食器を下げにテーブル席へ向かう。
金曜日の店内は満席に近いくらい混んでいる。
見渡すと禁煙席は既に満席だし、喫煙席もカウンター式の席しか相手はいないようだ。
次に店内に客が入って来た時の為、目視で空席確認をすると、一護はテーブルの片付け作業に集中した。
料理皿やカップを重ねてトレイに乗せる作業をせっせと行っていると、同じアルバイトの大学生の女の子が手伝ってくれた。
一護よりもアルバイトは半年程先輩だ。
手を休めずに先輩が、一護に向かって話かける。

『黒崎くん今日はシフト長いね。大丈夫なの?家。小さい弟いるんじゃなかったけ?』
『え?あぁ…まぁそーなんスけど…』

一護のアルバイト初日、新人に高校生の男が入ったと女性アルバイト達の中で一気に話題となり、あれやこれやと一護は質問攻めにあった。
なぜ女というものは、人の家族構成をすぐ聞きたがるのか…と一護は不思議だったが、また聞かれても面倒なので、初めにしっかり答えておいたのだ。

『でも、まぁ妹とオヤジもいるし、ヘーキですよ』
『そっかたくさん兄弟いるんだもんねー。いいなぁー』

一人っ子だと言っていた女子大生は、一護が食器を全てトレイの上に乗せると、ダスターでテーブルを拭き始めた。

そんな話をしたせいで、一護は急に家にいるはずの冬獅郎のことが気になりだした。
電話でもかけようかと思ったが、あいにく休憩と夕飯の時間は終わってしまっていて、勝手にラインを抜けることは良くない。
冬獅郎には、さすがにあれだけ言い聞かせたし、遊子達がいるから大丈夫だろうと、一護はやるべき仕事に戻った。

その頃一護がやっとの思いで振り切った不安をよそに、小さくか細い声が暗闇から漏れていた。

『…れすとらん…どこぉ…?』

冬獅郎はすっかり迷子になっていた。
迷子というより、最初から道なんてわかっていなかったので、ただ単に途方に暮れていた、という方が正しい。
たくさん歩いて、たくさん道路を渡って、たくさん曲がり角を曲がった。
住宅街から出て、商店が建ち並ぶ道をふらふらと歩き、また住宅街へ入る。
そんなことを繰り返しているうちに、とっぷりと日も暮れてしまった。
商店街を通り抜けている時、小さい子供が一人で歩いているのを不思議そうに見る人もいたが、近くに親がいるだろうと大抵はすぐに興味を無くし、視線をはずす。
迷子かな、と思った大人達も声をかけようとすると、話しかけられた途端に冬獅郎はびっくりして、すぐに逃げてしまうので、深追いはされなかった。

どのくらい時間が経ったのだろう……。
一番星に勇気づけられた、冬獅郎の元気もすっかりしぼんでしまって、レストランを探す為に一生懸命回りを見ていた大きな瞳は、今はもう足下しか映していない。
下ばかり向いていると、考えや気持ちまで下向きになってしまうもので、いつの間にかぽろり、ぽろりと水滴が頬を伝う。

『いち…ご…ひっく…っっく』

冬獅郎は、段々と自分がとんでもないことをしでかしたのでないのか…と不安になり、怖くなって何度も踞りそうになった。
見渡せど見渡せど、知らない家やお店ばかりだし、空はもう真っ暗で道路の街灯が照らしていないところなど、そこを歩いたら暗闇からどこかに落ちてしまうんじゃないかなんて思えて来た。
車のヘッドライトも涙で滲んだ目には、なんだか怖いお化けに見えてくる。
もう家に帰る道すら分からなくなってから久しい。
このまま自分は、もう一護には会えないんじゃないか、お家にも帰れなくて…もしかしたらしんじゃうんじゃないか…と怖くて怖くて仕方なくなってくる。

いつの間にか、冬獅郎の小さな顔は、おっきな目からぽろぽろ落ちる涙でぐしゃぐしゃになっていた。
何度も両手で拭うが、つぎからつぎから溢れて止まらない。

『いちごぉ…ふぇ…』

それでも足を止めることは無く、とぼとぼと歩いていた冬獅郎の目の前に不意にやたらと広い場所が現れた。
暗かったが、どうやらたくさん車が止めてあるようだ。

『?…』

なんだか見覚えがあるような気がして、歩みを止めじっと目を凝らした。
小さな冬獅郎からは、並んだ車が邪魔して見えないが、奥には煌煌と明かりのついた建物があった。

以前、みんなでレストランに行った時は昼間だったのでかなり印象が違うが、冬獅郎がホットケーキを食べたレストランに、とうとう到着していたのだ。

それにまだ気づかない冬獅郎は、今まで家や小さな店ばかりがたくさん並んでいたのに、今度は車がたくさん並んでいるので、不思議になってふらふらと近づいてみる。
その時、冷たい風が吹いて冬獅郎は細い首をすくめた。

『さむ…』

広い場所に出たので風通しがよく、上着を着て来なかった冬獅郎は、外気の寒さにやっと気づいた。
今までは、怖くてそれどころではなかったのもあるが。
車と車の隙間に入り込むと、風が遮られて少しあったかく感じた。
ちょっとだけ安心することの出来た冬獅郎は、力が抜けてしまい、その場にしゃがみ込む。
何時間も歩き続けて、足がとても痛かった。
寒くて痛くて、一度引っ込んだ涙がまた溢れ出して来た。
膝を抱え、足の痛さと、寒さ、そしてとんでもなく大きな不安に襲われる。

『うえぇ…』

しばらくしゃくり上げていると、遠くから話し声が聞こえ、複数の足音が近づいてくるのを冬獅郎は感じた。
何人かの大人が車に乗り込むところで、なんだか楽しそうに話をしている。
冬獅郎は別の車の影からその様子をじっと見ていたが、どうすることもできず、ただ隠れているだけだった。
やがて、車は大きなエンジン音を響かせて走り去ってしまう。
大きな音に少し驚いた冬獅郎は、とっさにぎゅっと目をつぶりやり過ごした。
車の音が遠ざかったのを感じ、うっすらと目を開けると、車が走り去ったことによって今まで遮られていた視界が開け、冬獅郎の目に大きな建物から溢れるまぶしい光が飛び込んで来た。

『なんだろう…れすとらん…かなぁ…』

自分が以前行ったことのあるレストランとは、ちょっと違う気がしたが、こんな暗くて寒いところにはもういたくなくて、冬獅郎はふらふらとまぶしい明かりを目指して歩き出した。
その時、建物の裏の方から人影が大きな袋を下げて出てくるのが見えた。
建物の裏の方は暗くて良く見えなかったが、どうやら大きな荷物を持っているようだった。
人影は大きな袋をどさりと地面に置くと、一瞬明るい場所へ出て来た。

『あ!いちご!』

人影はなんと一護だった。
冬獅郎は大きな声で叫んだつもりだったが、実際に声は出ていなくて、一護は全く気がつかず、また暗い裏口へ戻り、扉を開けて中へ入ってしまった。

『や!やだ!いちご!!!』

今度はちゃんと声になったが、既に建物の中へ入ってしまった一護には聞こえない。
冬獅郎は痛い足のことも忘れ、一護が消えた扉まで走った。
背伸びをして裏口のドアノブを回そうとするが、内側から鍵がかかっていて開かない。
鍵がかかっているとは知らず、冬獅郎はうんうん唸りながら何度もノブを回すが、ビクともしなかった。
しばらくの間ドアノブと格闘したが、扉はうんともすんとも言わず、冬獅郎は疲れきってしまい、諦めてノブから手を離した。

(いちごが中にいるのに!)

しかし、何度やっても扉は開かないので、冬獅郎は今度は表側に回ってみることにした。
明るい窓から中を覗いたら一護が気づいてくれるかもしれないと思い、覗ける窓を探したが、どれもこれも小さな冬獅郎の身長では届かず、中をのぞくことが出来なかった。
だが、ぐるりと建物を一周してみると、地面まである大きなガラスを見つけた。
そこからは店内が少しだけ見える。

『じどうドアだ!』

一護と良く行く近所のスーパーにもこれと良く似たドアがあったのを冬獅郎は思い出す。
ここから中へ入れるんだ、と冬獅郎は嬉しくなって、自動ドアの前に立った。

だが、大きなガラス扉はびくともしない。

『?』

ぽかんと大きなガラスを見上げ、一度後ろへ下がったり、ピョンと飛び跳ねてみる。
しかし、やっぱりガラスは開かなかった。
扉に手をついて、ドアの隙間に指を入れてみるが、重いガラス扉はやはり少しも動かない。

冬獅郎が自動ドアの前で、今日何度目かの放心状態になって立ち尽くしていると、
中から誰かがこちらに向かってくるのが見えた。
その人は、自動ドアの向こうにある扉を開けて、冬獅郎の方へ近づいてくる。
すると、冬獅郎があんなに頑張ったのに開かなかった自動ドアが、いとも簡単に開いた。
中から出て来たのは大人の男だった。
その男は、入り口でドアを見上げている冬獅郎をちらりと見たが、すぐに外へ出て行ってしまう。
冬獅郎はその成り行きをじっと見ていたが、せっかく開いた自動ドアがしまりかけたのに気づき、するりと小さな身体を滑り込ませた。
小さな冒険者は『自動ドアの中への侵入』に、どうやら成功したようだ。