『おむかえ4』

『いちご!』

四方をガラスに囲まれた空間で、一護の名前を叫んで店内へと侵入しようとする冬獅郎だったが、まだ難関が残っていた。
今度は木枠が嵌ったガラスの重い扉を、人力で引っ張って開けなければならない。
大きなレストランにはよくある設備だが、自動ドアを入るとまた扉があって、そこまでにタバコの自販機があったり、手洗い場があったりする小さな空間がある。
今、まさに冬獅郎はそこにいた。
自動ドアも全面ガラスだし、反対側の扉も壁も全てガラスで出来ていたので、店内からもこの空間の中は見る事が出来るが、店にいる店員も客も、誰もこのガラスの箱に閉じ込められた小さな男の子には気づいていない。
冬獅郎は、とりあえず大きな扉の取手に手をかけ、ぐいと引っ張ってみるが、とても重くて一人では開けられそうもない。
足を突っ張り、全身で引っ張るが、やはりこんな小さな子供の力ではどうにもならなかった。
諦めて、小さなため息をついた冬獅郎が、また足が痛みだしたので、その場にしゃがみこもうとした時だった。

『……ぁ!』

店内のレジの横には小さめの商品棚があって、子供用のおもちゃやライター、ガムなどのちょっとした商品が陳列されている。
そこに、一護が商品補充にやってきた。
冬獅郎はそれを見つけ、息をのんだ。

(いちごだ!ほんとにいた!いちごだぁ!)

文字通り飛び上がった冬獅郎は、興奮してドアへ駆け寄る。
慌ててドアに手をかけ、再び果敢にも扉を引っ張って開けようとするが、やっぱり無駄だった。
顔を真っ赤にしながら頑張るが、段々手にも力が入らなくなってくる。
すぐそこに一護がいるのに…。
そう思い、こちら側に背を向けている一護を見ていたら、嬉しいやら、扉は開かないやらで、幼い頭は徐々にパニックに陥って来た。
とにかく一護にこっちを向いて欲しくて叫ぶが、嗚咽ばかりが漏れて声にならない。
ガラス戸にどんどんと両手をぶつけ、声にならない声で一護の名前を何度も何度も叫ぶ。

『ん?』

なんだか机を叩くような、壁を叩くような、大きな音が一護の耳に入って来た。
さすがに不審な騒音に、一護は音のする方、即ち入り口を振り返った。
振り向いた一護の目に、信じられない光景が飛び込んできた。

『……えぇっ?冬獅郎!!!!!!』

全面ガラスの小さな空間に、ここにいるはずのない冬獅郎がいて、なにやら必死の形相で叫びながらガラスを叩いている。
あまりに信じがたい出来事に、一護はしばし放心していたが、動物園の檻の中の小動物よろしく、狭いガラスの部屋で暴れている冬獅郎が現実のものだと悟ると、持っていたガムの箱を放り出し、ドアに駆け寄った。
冬獅郎は、一護が振り返った途端、更にガラスを激しく叩きだした。

『とととと…冬獅郎!!!なにやってんだお前!!!てかなんでここにいるんだ!!!』
『いちごぉ!!!』

ガラス戸を押して開けてやると、ガラスの檻から放たれた小動物は勢い良く飛び出し、一護に飛びついて来た。
そして、飛びついたと同時に、大きな声を上げて泣き出してしまった。

『うあぁぁぁん!!うあぁーん!』
『ちょ…!冬獅郎どうしたんだよ!なんで…ってオヤジ達は?おい?』
『ふえぇん…いちごぉ…!』

一護の服に爪を立て、必死にしがみついて泣き続ける冬獅郎を抱き上げ、質問攻めにするが、やっとの思いで一護に会うことの出来た冬獅郎は、それどころではない。
一護の店の制服をがっちりと掴み、痛くてじんじんする足も一護の身体に絡め、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をエプロンに擦り付けて泣きじゃくっている。

『…冬獅郎…?』

冬獅郎の背中をなでながら、何事かと一護の方を見ている客達から隠れるように、とりあえずパントリーへと向かう。
子供の泣き声を聞きつけた他のスタッフ達も、何かあったのかとパントリーや事務所からぞろぞろと出て来た。

『どうしたの?黒崎くん!』

今日一日、一護に付いて指導してくれていた先輩アルバイトの女子大生が、休憩していた事務所から飛び出し、小さな子供を抱いた一護を見てびっくりしたような声を上げた。
目をまんまるにして、一護と一護の腕の中の子供を交互に見ている。

『いや…!あの!すすすいません!!なんか…うわぁ…冬獅郎…頼むから泣き止んでくれよー…』
『うぁぁーん…ひっく…っく…ふえぇぇぇん…』

一護の方が泣きたい気持ちなのを抑え、必死に冬獅郎の背中を撫で、落ち着かせようとするが、もはやパニックに陥っている冬獅郎には何も聞こえていない
じっとその様子を見ていた先輩が、はっとしたように一護に声をかける。

『あ…もしかして黒崎くんの弟?!どうしたの?怪我でもしたの?もしかして。一人で来たのお?』
『え…?いや…まさか…こいつがここまで一人で来れる訳ないし…………ってま…ま…まさかお前……!一人で来たのか?!!!!』

先輩スタッフは、こちらもパニックになりかけている一護の腕を引っ張り、小声でささやく。

『とにかく事務所の中に入ろうよ。ここじゃ他のお客さんにも聞こえちゃうから…』
『は…はい』

一護は、まだ泣き続けている冬獅郎を抱きかかえ直し、先輩スタッフに促されるまま事務所への扉をくぐる。
事務所の中には、オーナーやマネージャーといったお偉い方々の来店用に小さいが応接セットがあり、見た目より座り心地の良いソファーが並んでいる。
一護の面接も、この応接セットで行われた。
だが、そこに座るのはなんだかためらわれ、入り口付近に立ち尽くしていると、騒ぎを聞きつけた店長が事務所の中へやって来た。

『どうした黒崎!なにがあったんだ?』
『あ!店長!すみません…あの…なんだかうちの弟が…その…』

普段はとても温厚で優しい店長が、何事かと血相を変えて、大声をあげている。
一護は慌てて店長へ向き直り、説明をしようとするが、混乱していて言葉がうまく出てこない。
一護に抱かれた子供を見て、店長が大きく息をついた。

『弟?この子が…?家族の方は、一緒じゃないのか?』
『それが……こいつ一人みたいで……』
『一人?一人でここまで来たのかこの子は……!お前のうち結構遠いだろ?』
『…はい…なんすけど…』
『…っく…ひぃっく…』

一護の胸で一通り泣いた冬獅郎は、今は少しづつ落ち着きを取り戻し、相変わらず一護にしがみついたままだが、泣き止んでしゃくり上げる程度になっている。
二人の回りには、冬獅郎の知らない大人が沢山いて、人見知りのこの子は少し怯えているようだったが、一護に抱かれて安心はしている様子だった。
きょろきょろと辺りを見回しながら、興味深げに自分を見ている大人達の視線に、居心地が悪そうに、一護の腕の中でもぞもぞしている。

『黒崎…とりあえずここに座ろう…その子も可哀想だ』
『は…はい…すみません』

大きな客からのクレームや、怪我などの大事件ではなく、突然の可愛らしい客の来訪に店長も直ぐさま落ち着きを取り戻し、いつもの優しい表情に戻って、立ち尽くした一護と冬獅郎にソファに座るよう勧めた。
普段、スタッフが休憩でこのソファに座ることは禁じられているので、一護は面接時以来となる座り心地の良いソファに座ることとなった。
冬獅郎を抱いたまま店長の向かいに座り、凄い力でしがみついて離れようとしない冬獅郎を、なんとかひっぺがして隣に座らせた。
一護から離れたことで不安になった冬獅郎は、一護の制服の裾をきゅっと両手で掴んで、真っ赤になってしまった大きな目で一護を見上げた。
一護は困ったように冬獅郎を見下ろしながら、店長に怒られるのでは…と内心びくびくしていた。
こんなことが原因でクビになんかなりたくはない。

(だけど…まさかここまでくるなんて…)

一護は冬獅郎に問いたいことは山ほどあったが、今は店長が目の前にいる事もあって、大人しく指示に従う事にした。

『冬獅郎…くん?君一人でここまで来たの?』

店長が冬獅郎に笑顔で柔らかく問いかける。
冬獅郎は、知らない人から自分の名前を呼ばれ、びくっと身体をこわばらせたが、小さくこくんと頷いた。

『おま…!ほんとに一人で来たのか!オヤジは?遊子は?夏梨は???どうやってここまで来たんだよ!歩いてきたのか?ちゃんと家にいろって言っただろ?何で……』
『…だって…いちご…いち…ごが…ふぇ…』

まさかとは思っていたが、一人で来たという事実を告げられ、反射的に一護は冬獅郎を質問攻めにしてしまう。
ものすごい剣幕でまくしたてる一護に、もうすっかり泣き止んでいた冬獅郎の目に、みるみる涙が溜まり、眉が下がってしまった。

『おい…そんなに怒っちゃ可哀想じゃないか…せっかく黒崎に会いにきたんだろ?しかしまあ…よく一人でここまできたもんだな…頑張ったんだな』
『店長…』

年齢よりだいぶ若く見える店長が、冬獅郎に向かってにっこりと笑いながら褒めてやると、『頑張った』という言葉に冬獅郎がぴくっと反応し、ちらりと店長を見て、ちっちゃく首を縦にに振った。
そしてすぐに一護を上目遣いで見上げ、一護の怒声に構えた顔をしている。
だが、一護はあまりに信じられない出来事に放心状態になっていた。
ちらりと視線を動かし、時計を見るとあと30分ほどで21時になるところだった。
時計を見て我に返った一護は、自分がまだ業務中だった事を思い出し、がばっと立ち上がった。

『あ…店長…オレ仕事…!』
『あ…あーお前…まだシフト時間内か』
『はい…早く皿洗っちまわないと…』
『そうだなぁ…』
『あ!店長!店長!あたし、あたしが黒崎くんのシフト、代わりに入りますよ!』

入り口でずっと成り行きを見守っていた先輩スタッフが、元気よく右手をあげながら事務所の中に入って来た。
彼女は今日21時で仕事が終わりのはずだが、一護の残りのシフトを代わってくれるという。

『あ…いや大丈夫ですよ!ちゃんとオレ働きますから!』
『だって…とーしろーくん…どうするの?ひとりぼっちでほっておくの?』
『え…それは…』
『あたしが面倒見ててもいいけど、初対面の人じゃ怖がるだろうし…』
『いや…でも…申し訳ないし…』

どうしたもんかと口ごもる一護に、冬獅郎が一層力を込めてしがみついてくる。
今にも泣きそうな顔をして一護の顔をじっと見る冬獅郎。
一護は困り果てて、冬獅郎と先輩スタッフ、そして店長の顔をかわるがわる見つめた。

『大丈夫よ!もうピーク終わったし、あたしこれから何も用事ないし、稼ぎたいし!』

にっこり笑ってそう言ってくれる先輩に、一護は申し訳無さそうにもう一度断ろうと口を開きかけたが、そこへ店長が手を叩いて決定事項を伝えるかのように口を挟んできた。

『じゃあそうしようか。黒崎にはまたいつかこの埋め合わせはしてもらうことにして、今日は代わってもらえ』
『あ…はい…ほんと…すみません…ありがとうございます』

店長にそこまで言われては、一護はもう受け入れるしかなかった。
幸い夕食のピークはもう過ぎていて、後は溜まった洗い物や、明日の為の仕込みといった仕事だった。
既に一護はそういった仕事は教わっていたので、今日新たに教わることはもう無い。

『店長!じゃああたし入店しますねー、勤怠切っちゃったんでー、後で治してくださーい!』
『わかったよ、じゃあ頼んだぞ』
『すんません!ホントにありがとうございます!』

先輩の元気な声に一護は少しほっとして、隣にちょこんと座っている冬獅郎を見た。
不安そうに今までの会話を黙ってじっと聞いていた冬獅郎が、おずおずと一護の顔を見上げながら聞く。

『いちご…はたらくの?どっかいっちゃうの?』
『あ…いや、今日の仕事はもう終わりになったよ。もう今日は帰るだけ』
『おわりなの?もうオレといっしょなの?』
『あぁ…そうだよ』

一緒と聞いた途端、嬉しそうな笑顔になった冬獅郎の頭をがしがし撫でてやりながら、一護はあと一時間分稼げなかったな…と少しがっかりしていた。
しかし、冬獅郎がどれだけ不安な思いをして、頑張って自分に会いに来てくれたのかと思うと、金のことなんてすぐにどうでも良くなった。
よく見れば、どこかで転んだのか冬獅郎の膝に小さな擦り傷があったり、手や服は汚れているし、顔はさんざん泣いたせいで未だ涙と鼻水まみれだった。

『じゃ、黒崎さっさと着替えてこい。着替えたら冬獅郎くんとフロアにこいよ』
『あ…はい!』

店長はソファからゆっくり立ち上がると、そう言い残して仕事に戻った。
一護は、もう一度ソファに冬獅郎を座らせ、奥の更衣室にある自分のロッカーを開けると、カバンからハンドタオルを出して冬獅郎の顔や手を丹念に拭いてやる。
そして、急いでバイトの制服から学校の制服に着替え、冬獅郎のところへ戻った。
冬獅郎は、靴を脱いでソファに上がり、手で膝の辺りを押さえながらじっとしていた。

『どうした?足痛いのか?』
『…うん…いたい』
『いっぱい歩いたんだな…頑張ったなぁお前…』
『…うん』

小さな足を擦ってやりながら、一護が微笑みかけると、冬獅郎は嬉しそうにはにかんだ。
しかし、ゆっくりしている訳にもいかないので、冬獅郎に靴を履かせ、手を引いて事務所を出た。

『もうちょっと頑張って歩けるか?抱っこしようか?』
『おれへーきだ!』
『早く帰ろうな』
『おう』

そして、一護はフロアに出て店長の姿を探した。